明治時代の旧制大学の設置以来、予備校は存在しており、最も歴史の古いものには、研数学館、駿台予備学校などがある。戦後の高度経済成長期頃から、大学受験の大衆化が進み、河合塾や代々木ゼミナールなどの大手予備校が急成長する下地が生まれた。そして、1970年代、1980年代、1990年代前半のいわゆる受験バブルの時代においては、現役よりもむしろ浪人して大学進学することが一般化し(「一浪 【いちろう: 一年浪人すること】」と書いて、「ひとなみ」=「人並み」と読む、などと俗に言われた)、予備校は若者の一種の通過儀礼としての役割を果たし、独自の予備校文化も形成されるに至った。1990年代後半に入り、バブル経済の崩壊、少子化の進展につれて、浪人生の数は減少し、予備校は全体としては、浪人生を中心とした本科から、現役生を対象とするコースへと重点を移す傾向にあり、推薦入試やAO入試の対策、それに伴う高校の内申点・定期テスト対策などのニーズが高まっているのが現状である。ただし、依然として、難関校の一般入試は高倍率であるので、大手予備校においては、本科も規模を縮小しながら、存続し続けていくものと見られる。
三大予備校
三大予備校(さんだいよびこう)は日本国内の大学受験界において駿台予備学校、河合塾、代々木ゼミナールの3つの予備校を指す。河合塾が全国に台頭してから使われた用語である。この3校の頭文字を取ってSKYとも表記する。規模が大きく、講師の質が高い。また、模擬試験の質では他の予備校を寄せつけない。歴史的には駿台予備学校が最も古く、代々木ゼミナール、河合塾がそれに続く。河合塾はもともと愛知県におけるローカルな予備校であったが全国に展開した。
三大予備校が全国展開を強めた1980年代あたりから、受験生の間では「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合」と言われてきた。駿台は受講生のレベルが高く、代ゼミは人気講師の看板が強く、河合は机が広いのがウリ(駿台・代ゼミは大学の大教室で使われるような数人分が横につながった机なのに対して、河合では高校で使われるような一人分単独の机。)という意味。これには、首都圏の受験生にとって河合が比較的マイナーな存在であったことによる揶揄が含まれるが、河合の首都圏での基盤も強くなってきた近年では以前ほど言われなくなっているようである。